みんなの離婚体験記

世の中にあふれる離婚体験についてまとめたサイトです

束縛されるのが嫌という男性、ただの浮気症でした

いかにも真面目そうに見える男性といえば聞こえは良いですが、きっと女性にはモテないだろうなという印象の男性が職場にいました。

 

 

 

それでも優しく丁寧な人で、当時新人だった私にも手取り足取り仕事を教えてくれました。どんな時も冷静で、私がミスをしたときにも責めることなど一切せず、一緒に対処に当たってくれるような人でした。

 

 

 

「良い人なんだけど、恋人や旦那様にはちょっとね・・・」と内心思っていたら、それは余計なお世話だったようです。そう、彼は既婚者だったのです。

 

 

 

まぁきっと、奥様は、内面に惹かれて結婚したのだろうなと思いました。

 

 

 

ところがこの男性、ある日、私を食事に誘ってきたのです。それは二人で残業をして期日間近の仕事がやっと終わったというときのことでした。

 

 

 

夜の11時でお腹はペコペコでした。男性と二人きりで食事といっても相手は真面目な既婚者ですので、特に問題ないと思い、私は彼と一緒に外で食事をしました。でもそれが間違いの始まりでした。

 

f:id:tet-su:20150808180347j:plain

 

食事と一緒にお酒を飲んだ彼は、「今夜は遅くなったから、何処かに泊まってゆかないか?」というのです。一体何を考えているのやら?と思い、当然お断りしました。

 

 

 

すると彼は、自分と奥さんがうまくいっておらず、離婚したいのだということをこぼし始めました。私には関係のないことでしたが、仕事を手伝ってもらったこともあり、邪険にするわけにもゆかず、ふんふんと適当に相槌を打ちました。

 

 

 

彼曰く、奥さんは束縛をしたがる性格でそれが彼にとっては窮屈でたまらないから離婚をしたいとのことでした。でも離婚をほのめかすと奥さんが慰謝料を請求するというので離婚出来ないというのです。

 

 

 

ところが現実は少々違っていたようです。後日聞いた職場のうわさでは、離婚したがっているのは奥さんのほうで、離婚したい理由は彼の浮気癖とのことでした。

 

 

 

なぜこんな地味な男性の私生活を同僚女性たちが詳しく知っているのか最初は不思議でしたが、どうやら彼女たちも私と同じように彼から声を掛けられたことがあったようです。

 

 

 

彼が私を誘っていた時期は、ちょうど離婚調停の真っ最中だったことが後で分かり、本当に驚きました。浮気が原因で離婚したいという奥さんに対して別れたくないという夫がこの状況でさらに私を誘っていたのです。浮気は一種の不治の病なのだなと思いました。

 

 

 

結局、彼はその2か月後に離婚に応じたそうです。自由になった途端、「女性はもうこりごりだ」と言って私生活が地味になりました。男と女って本当に分からないものです。

DVをする旦那でも愛し続けてしまった

私は現在、心の病と闘っています。

原因は3年前の旦那との離婚の体験です。

 

結婚して半年後、旦那には愛人ができてしまい夫婦の仲は拗れていきました。しかし私は旦那を手放したくありませんでした。

 

浮気は初めてのことではありません。

付き合っている期間も何度か、浮気をされていました。

 

注意する私に対し、感情的になる旦那は暴力で抑え込み、浮気をなかったことにするというお決まりの流れが出来上がっていました。旦那は交際している時からDVをする癖があったのです。

 

そもそも周囲は結婚に反対していました。

それでも結婚をした私に対し、「離婚をするか、嫁が死ぬか…どちらが早いか」と心配をされていました。でも、私は浮気をされていても最終的に私の元に帰ってきてくれれば、もう満足だったのです。それほど、旦那のことを愛していました。

 

しかし、どんなに頑張っても旦那の暴力は治まることはありませんでした。

 

だんだんDVの原因は私の行動に腹が立つという理由になってしまいました。

その当時、殴られることが怖くて旦那に従うことばかりしていた私でしたが、そんな私を眺め「お前は俺の人形か?人形と結婚した覚えはない」と言われる始末です。

 

「人形とは離婚して俺は普通の人間の女と付き合いたい」と言われてしまった時は焦りました。それが本心だったのでしょう。

 

旦那の口から「離婚」という言葉が出た時から旦那は家に帰って来なくなりました。きっとその時には新しい女ができていたのでしょう。

 

私は意地でも離婚はしたくありませんでした。DVをされても浮気をされても、旦那しか愛せなかったからです。

 

f:id:tet-su:20150808175837j:plain

 

旦那が帰らなくなり1か月が経ちました。離婚届けが私の元に届きました。手紙などなく、紙切れ1枚が入っただけのものでした。もう愛されていないのだなと確信した私の心は壊れ切ってしまいました。

 

そのまま離婚届けを提出し、慰謝料などとる気はなく、私は独りになりました。

 

それから私は精神安定剤を飲まなければ生きられない身体になりました。

現在もまだフラッシュバックに襲われています。旦那との離婚は私にとって大きな傷跡です。

夫婦喧嘩の度に離婚をほのめかす女性ほどその覚悟がない

結婚が決まった時には、見るからに幸せいっぱいの表情でその報告をしてくれた男友達U。もともと恋愛には疎い不器用な男性だったので、報告を受けた私たちは口々に「よかったね!」と彼を祝福しました。

 

 

 

よほど結婚が嬉しかったのか、豪華な結婚式と披露宴を計画して、男性にしては珍しく、花嫁と一緒になって一所懸命、式の打ち合わせや前準備をしていたようです。

 

 

 

仕事が忙しくて恋愛もままならない状態だったのにいざとなるとここまでマメな男性だったのか!と、周囲も大変驚いたものでした。

 

 

 

ところが新婚生活も3か月ほど経った頃、仲間内の飲み会に参加したUは、心なしか元気がなさそうでした。「新婚生活はどうなの?」と誰かが冷やかし半分にUに声を掛けると、彼は深いため息をつきました。

 

 

 

どうしたのか?と思いきや、U曰く、毎日夫婦喧嘩が絶えないとのことでした。「結婚したばかりの新婚生活は、人生の中で最も幸せな時間を過ごせるのだと思っていた。」と彼は言いました。

 

 

 

ところが現実は、喧嘩の度に奥さんの口から離婚を匂わせるような言葉が飛び出したそうです。そうなると、どうにか離婚を避けたい彼はどんなに自分が間違っていなくても頭を下げて謝り、彼女のご機嫌をとるしかないのだそうです。喧嘩の原因は、本当に些細なことでしたので、なぜ彼女がそこまで深刻に受け留めて大騒ぎするのか、彼にはまったく理解出来なかったそうです。

 

 

f:id:tet-su:20150808175251j:plain

 

新婚早々、夫婦喧嘩になるのは、世間的にも実はよくあることなのではないかと思います。その都度、「離婚だ!離婚だ!」と口走るのは少々大人げないですが、それだけ奥さんも結婚生活に不安を感じているから離婚をほのめかしてでも彼を思い通りに操りたいのでしょう。

 

 

 

でも彼としては、喧嘩の度に離婚といわれることに嫌気がさしてしまったようです。「子供が生まれてからも喧嘩の度に離婚と言われるのではないか?」という不安があって、こんなに気が合わないのでれば、子供が生まれる前に離婚したほうが良いのではないかと思うようになったそうです。

 

 

 

そこでとうとうある日、奥さんに向かって自分の気持ちを伝えたそうです。「まさか本気で離婚を考えるなんて・・・」と奥さんは涙ながらに彼を引き留めましたが彼の心はもう固まっていたそうです。

 

 

 

その後、彼は別居を開始、長い時間をかけて奥さんを説得し、半年後に正式に離婚しました。簡単に離婚を口にする女性ほど、その覚悟が出来ておらず、いざとなるとなかなか離婚に応じてくれないというのが彼の実感のようでした。

度重なる深夜の帰宅が離婚原因になりました

私は管理職40代の元妻です。

 

先日、離婚が確定したので現在は独身に戻りました。

元夫には、捨てられた形になりました。

 

 

 

私はお酒が好きでした。

上司や部下と週に二回は飲み歩いていた日々です。仕事の打ち合わせや反省会を兼ね、退社後は居酒屋やバルで終電近くまで飲んでいたのです。

 

私は出産後、仕事に復帰したので楽しい気分を満喫したかっただけかも知れません。

 

子供は元夫に預けて、深夜は2時頃にタクシーで帰宅するなど派手な生活をしていました。元夫は必ず「今度やったら子供を連れて出て行く」と言うのです。

 

それは私にとって、仕事をするなという命令に思ってしまったのですね。

反発も多かったので、私は元夫の話を妄言だと思って無視していました。

 

その次の週、私は少しいつもより早めの帰宅で深夜1時には家に着きました。

元夫はリビングでゴロンと寝ていたのですが、「お疲れさま」と一言残して、二階に上がってしまったのです。怒られる雰囲気もなかったので、私はシャワーを浴びて就寝しました。

 

 

次の朝、起きてみると元夫の姿はもうありませんでした。子供の姿も子供の服も靴も見当たりません。

 

私が寝ていた隙に、全部用意して出掛けたのだろうと初めは思っていたのです。

 

出社して何度か元夫の携帯に電話したのですが、留守番電話になっていて出てくれません。流石におかしいと思っていると、一本の電話が掛かってきました。弁護士事務所です。

 

f:id:tet-su:20150808174744j:plain

 

その旨は、「ご主人が離婚したいそうで明日のお時間が空いている時にお話があります」との事でした。この時、私は元主人が言った離婚の二文字が頭を過ったのです。

 

 

取り敢えず、子供に合わせて欲しいと弁護士さんにお願いしたのですが、私自身が二年間子供の面倒も料理も作っていない事に触れられ、現実を突き付けられたのです。

 

 

それから三年、調停を経て先日離婚となりました。

元夫は二度とやり直す機会をくれませんでした。

 

まさか離婚になるとは思わなかったので、青天の霹靂です。

離婚すると分かっていたら、会社にも復帰しなかったでしょう。

 

こうして、離婚が成立すると何もする気が起きません。

今は離婚する前の幸せな家庭が懐かしいです。

我慢するより今後を見据えての離婚

私が離婚を考えだしたのは結婚して10年ぐらいだったと思います。私達夫婦は歳の差10歳でした。

 

社会に出ても1年ぐらいしかたっておらず、世間も知らず、まだ良いこと悪いこともよく分かっておらず、いろんな人との出会いから色々な経験をして、人として勉強しなきゃいけない年齢だったのですが、まだ若かった私が子供を授かり産む決心をして、若いまま、急に家庭を守るようになりました。

 

旦那様になった人はお給料も良い方で、私も専業主婦でいられて生活にも困らず子供をゆとりのある気持ちで育てる事もできてスクスク育ちました。

子供も小学校に上がり自分1人の時間が出来たので、家で1人で居て旦那様や子供の帰りをボーとして待ってるよりは外に出ようと思い、子供が帰って来るまでの時間帯でパートの仕事を初めました。何年も家を守ってきて久々の社会なので緊張、戸惑い、不安もありましたが失敗しながらも仕事に励んできました。

その職場のスタッフとの出会い、お客様との出会いがあり色々な人間、考え方、理不尽など経験をし、だんだん歳の離れた旦那様の理不尽が鼻に付くようになり、「全部が全部旦那様の言う事が正しいとは思わない」と確信が強くなってその想いから離婚という言葉が頭にチラつきだしました。

 

若かった私は旦那様の言う事が正しいと思っていたので…そんな想いをモンモンとして生活をしてたら本当に旦那様の言う事やる事が目に付いてどんどん嫌になってしまい喧嘩がどんどん増えるようになってしまいました。子供の居る前でも喧嘩をしょっちゅうするようになってしまい、それを頻繁に見てた子供の様子がおかしくなったのに気付き私は子供を連れて実家に帰りました。

ただ学校もあるので送り迎えをしながらでしたが…子供の為に我慢して生活しようと思いましたが、1度嫌になってしまうともう気持ちが当然戻らないのは知ってるので、

我慢しながら嫌な生活をするよりは、離婚して子供と再出発して苦しくても明るく生活できるならその方が気持ちが安定する!と思ったので

離婚届けをもらいに行き旦那様に私の気持ちを泣きながら伝えました。

f:id:tet-su:20150804173052j:plain

旦那様も私が離婚という言葉を言うとは、そこまで気持ちが進んでいるとはは思いもしなかったと思います。(私の我儘と言えば我儘だったかも知れません)

 

その後双方の親を呼び話をして引き止められたのですが私の気持ちが固いと言う事が分かったらしく何も言いませんでした。旦那様も観念したかのように離婚届けにサインをして印鑑も押してくれました。

 

離婚届けを出すタイミングも考えた上で、子供が進級する時にしました。

 

子供には本当に親の勝手な都合で振り回してしまって申し訳無かったのですが私の心は常に余裕があり、笑いの絶えない生活になりました。

 

今ではもう子供も成人して働いてますが辛い思いをさせたのにもかかわらず真っ直ぐ成長してくれて本当に嬉しく思います。我慢して生活するよりは離婚してサッパリ再出発の道を選んだのは間違いではなかったと私は確信しています。

真っ直ぐ成長した子供を見て本当にそう思います。

離婚は計画的にしないと自分のお金が底つく

私は離婚して7年たちますが、今は再婚して幸せな生活を送っています。当時はまだ気持ちだけで突っ走るタイプだったので、離婚は計画的にという言葉をあの頃の私に教えてあげたいです。

 

 

 

元旦那とは出来ちゃった結婚でした。でも流産してしまい、周りを凄く裏切った気分と子供を亡くした気持ちで沈んでいても、元旦那は友達と遊んだりして私と向き合おうともしてくれませんでした。結婚も安定期入るまで待とうと私が言っても、元旦那も突っ走るタイプですぐに義理親に伝え急いでの結婚になりました。

 

離婚原因は『元旦那の借金癖、性格の不一致』でした。元々元旦那は借金がありその理由は本人は惚けますが、ギャンブルや見栄の為でした。結婚してからも度々勝手に借りては友達と飲んできたり、自分のお小遣いにしていました。更に仕事をクビになり転職した先のお給料では生活が出来ず、私のお給料と更に掛け持ちして夜働いたお金で生活していました。夜のバイトの送迎をたまにしてくれるのですが、寝てしまい来ない事もあり、1時間かけて家に歩いて帰って翌朝文句を言うと「俺だって疲れてる」でした。

 

お給料は支払いで消えるので、毎日千円だけお小遣いを渡し、自分の必要なタバコや会社での飲み物、食べ物を購入してもらっていましたが、

足りなくなると、また借金。とうとう私から「次したら離婚だから」とまで言われたのに、またすぐに借金していました。

 

カードの明細書を出し問い詰めると泣き出し土下座をしてきました。でも私の気持ちも冷めていたので、とりあえず数日の荷物をバックに詰めその日は車内泊。もうここから間違っていたのです。嫌でもとりあえずお金を貯めるまでは住み続ければ良かったと思います。

 

元旦那からは毎日電話やメールが来て1週間の間友達の家に1日だけ泊まりましたが、あとは車か漫画喫茶でいたので結構お金を使ってしまいました。1週間後、義理親が来るという事で私も話し合いの席に着きましたが、もう元旦那の顔を見るのも気持ち悪くて「離婚しか考えていません」しか言わなかったです。

元旦那は最後まで離婚したくないと言ってましたが、義理親に説得され応じてくれました。

f:id:tet-su:20150804172454j:plain

 

 

結局向こうは借金あるので相手が悪くとも慰謝料も貰えず、住むところを確保するために働きづめの毎日になりました。こんな離婚の仕方、子供がいたらこんな無謀な事しなかったと思いますが、1人だから出来た事だと今でも思います。

 

離婚の為に自分がマイナスになりましたが、元旦那と一緒にいたらそれ以上にマイナスだと思うので、離婚にはバツがついても後悔はありません。

育休明けの職場復帰をきっかけに離婚しました。

産後、育児休暇を終えて私が職場復帰をしたことをきっかけに離婚することになりました。

 

 

管理職として復帰するか、一般社員で復帰するかを悩んだ際、夫が育児や家事はサポートをするから、管理職で復帰してみたら、の一言で管理職での復帰を決めました。

 

他の管理職と比べられても負けないように、残業もバリバリこなし、気が付けば保育園の送り迎えや家事は仕事の融通が利く夫メインでお願いするように。

そこから関係が少しずつ悪化していきました。

 

 

 

夫は日常的にわざと聞こえるような感じで、ことあるごとにため息をついたり、舌打ちをするようになりました。

 

食器の洗い方が雑だ、と目の前で洗い直されたり、料理を作ると手抜きだと言われ作った料理を捨てられたり、家の片付けができていない等々、ことあるごとに注意したり、ひどいときはそのまま私が泣くまで一方的なお説教が続くような状態に。

 

しばらくすると、残業して疲れて帰宅すると、子供を寝かしつけて缶ビールを空けて既に酔っぱらった状態の夫に一方的に怒られ続けるのが日常になっていきました。

 

そのうち子供がいる前でもお構いなしで私が泣くまで怒り続けるようになってきて、このままでは自分もまいってしまうし、子供にも悪影響だと考え、別居するべきでは、と考える様になりました。

f:id:tet-su:20150804171637j:plain

 

 

別居した後、離婚に向けて話し合うにも話す度その内容が違っていて、その時々で穏やかだったり泣き出すまでに弱っていたり、一方的に怒っていたり、二人ではまともな話し合いができない状態だったため、双方の両親を含めた話し合いもしましたが、それでも決着できず…、最終的には離婚調停にもつれ込むことに。

 

1度目の調停では夫が離婚自体に応じてくれず、しばらくは別居状態を続けることと、子供との面会条件だけを決めて、離婚自体は不成立に終わりました。

 

2度目の調停では、ようやく夫も離婚に応じる姿勢を見せ、養育費や親権などの取り決めをして、ようやく離婚が成立。

 

 

 

最初に別居をしてから離婚成立までは約1年半。離婚は結婚よりも労力がかかると言いますが、精神的な負担も大きく、時間も労力もかかって大変でした。子供がいなければもう少しスムーズだったのかな、と思いますが大変だからと言ってお金関連の取り決めをせずに離婚を急ぐようなことをしなかったことは結果的によかったのかな、と思っています。